「会津若松旅行」②
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いつもご覧いただきまして
誠にありがとうございます。
結婚20周年の旅行ということで
福島県の会津若松市に一泊二日で
旅行してきました。
ビジネスホテルは
スタッフの方も親切で温かみがあって
朝食もおいしくてよかったです。
そうそう、会津若松市という市名について。
wikipediaによると
会津若松市は以前は若松市だったそうです。
ですが、現在北九州市の若松区となっている
福岡県若松市とよく間違われるということで
会津若松市と市名を変更されそうです。
1899年、当時の若松町が福島県で初の市制を施行して若松市となり
その後も周辺町村の編入などを繰り返し、1955年の7村編入時に会津若松市に
市名を変更し現在に至っている。
会津若松市を中心とする会津若松都市圏の人口は約23万人(2010年都市雇用圏)。
ホテルをチェックアウトして
会津若松を治めていた
蒲生氏郷氏のお墓参りに。
もともと会津若松は
会津黒川という地名だったそうです。
↓
1589年(天正17年)、伊達政宗のもとで勢力を拡大する伊達氏が
蘆名氏を滅ぼし、黒川を新たな本拠地とした。
しかし翌1590年(天正18年)、豊臣秀吉の奥州仕置により黒川は伊達氏から取り上げられ、
代わって蒲生氏郷が入封した。氏郷は、町の名を黒川から「若松」へと改め、
蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。なお「若松」の名は、出身地の日野城(中野城)に近い
馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の
参道周辺にあった「若松の杜」に由来する。(wikipediaより)
蒲生氏郷は会津若松を発展させた城主だったのでしょう。
でも39歳という若さでお亡くなりになりました。
蒲生氏郷氏辞世の句
その後、鶴ヶ城(若松城)へ
広い敷地に立派なお城がありました。
この芝生の部分には屋敷がありました
せっかくなので、ボランティアガイドさんに
お城の周りを説明してもらいました。
やっぱり知らないことばかりで面白いですね。
戊辰戦争で、会津軍は城に立てこもり
一ヶ月籠城したそうですが、最後は降伏。
鶴ヶ城はボロボロになりその後取り壊されました。
戦後お城再建の機運が高まり、昭和40年(1965)に
現在の姿に再建されたそうです。
動画でご覧いただくとよくわかります。
このお城の敷地内に
お茶室があります。
これは千利休の弟子でもあった蒲生氏郷が
千利休切腹後、茶の湯が絶えることを憂い
子息の少庵を預かったそうです。
その少庵が蒲生氏郷のために作ったのが
この麟閣だそうです。
鶴ヶ城立派でした。
そのあとは、福島県立美術館を見学し
ヨークベニマルでお弁当を買って食べ
帰路につきました。
強行軍でしたが、楽しかった!
麟閣では冷たいお抹茶を
いただきました
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